織田信長が最もひいきした家臣で戦国時代の人気キャラクター、森乱丸(森蘭丸・森成利)の生涯を探る。

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信長の若き側近・森乱丸とは

森蘭丸

森乱丸(もり らんまる)は、永禄8(1565)年、尾張国葉栗郡蓮台の丑年生まれ。美濃の豪族で織田信長の家臣・森可成(もり よしなり)の三男である。森氏は源義隆を祖とする。

実名(諱)は「森成利」で、現在では「森蘭丸」と記されることが多いが、実際に使っていた名前は「森乱丸」である可能性が高い。


幼少より信長に近侍したが、天正7(1579)年、乱丸は15歳にして信長に奏者(取次ぎ役)として重用されるようになった。
頭脳明晰で諸事奉行や加判奉行等も務め、信長の寵愛を受けて、その一字をもらい長定と名乗ったという説もある。

天正9年4月20日近江に500石を与えられ、天正10年3月、武田氏の滅亡後は美濃金山5万石を与えられたが、信長の小姓(側近)を務めていたために領地へ赴くことができず、家臣を城代として派遣していた。

しかし、天正10年6月2日、本能寺の変で信長を守って明智光秀勢と渡り合い、討ち取られた。18歳。
この時、乱丸の弟・森坊丸(四男)17歳、森力丸(五男)16歳も一緒に討ち死にした。

森蘭丸

森乱丸については「信長がもっとも寵愛した近習」として多くの逸話が残されている。

乱丸が笑顔の愛らしい美少年だったという説から、信長はホモセクシャルだったのではないかとの憶測もされている。

しかし、乱丸は信長に媚びへつらう性格ではなく、相手が誰であろうが間違っていると思うことは、はっきりと指摘する性格であった。
信長は短気であった言われているが、乱丸とのやりとりから考えると、短気な信長の姿は想定できない。

乱丸について正式な史料として記されているものは少なく、多くの逸話は江戸時代以降の創作であるとの説もある。

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